2011年6月3日金曜日

地図を持たずに出かける、それは採譜に似ているかも知れない

もちろん予定時刻に知らない所へ行く場合は事前によく調べてから出かけますが、朝の散歩とか思いつきで歩いてみようと言う場合は「自分の感覚を頼り」に歩くことにしています。天気が良ければ太陽の向き、日が出ていない時は遠くから見える目標(ランドマーク)を頼りにルートを考えます。夜中でも都会ならランドマークはあります。この辺りを夜中歩くのは・・・やめます。だいたい寝ています。

今朝歩きながら地図を持たずに歩くのは昨日の投稿に共通するイメージを感じました。
「地図を見るより人にわかる地図を書ける様に歩く」ってことかな。
採譜も自分の感覚と経験を頼りに最終的には他人が見てわかる楽譜を、特にもとの音がある場合はこれをうまく再現できる様に書く。
地図を書くのと楽譜を書くのは何か共通するところがある様に思いながら歩いていました。
採譜の場合、最後は演奏データを編集して原音に近づけますが、そこは繰り返しトライして徐々に明らかにしてゆく。根気が重要だし、最後は自分の感覚を信じるしかない。しかしこんなもんだろうと妥協しないで自分が納得するまでは諦めない・・・。
以前はこれができませんでした。
最近ようやく締め切りに追われない出版が可能になりました。自分が出版社だからですが、だから納得行くまで精度の高い採譜を目指しています。若い頃にはできなかった。締め切りを守るから次の仕事がもらえた訳で、精度の高い仕事より確実に間に合う仕事ぶりが評価された。雑誌でも楽譜集企画でも、ポピュラー音楽を扱う以上は早く出さないと勝負になりません。締め切りだけは守りました。その上で採譜の精度も少しは評価されていた様でした。
若い頃は妙に自分の能力に自信がありました。それは悪い面だけではなく、間違い(そもそも気づかなかったかも知れませんが)を恐れず仕事して来たからこその現在。功罪両方ですね。しかし恐ろしいのは結果として出版された雑誌や楽譜が証拠として残っていること。若い頃の仕事に今になって気づくミスはあるのです。昨日の投稿がその例です。これは何とか修正したいと思います。
若い頃の採譜はずっと一人の作業でした。今も大半は一人ですが、最近では別人が私の原稿を校正しています。結果、精度が上がっています。音の間違いや不適切な表現に気づくのは、先入観の無い別人の方が良いのです。これは大切です。わが社にある面では私より耳がよく、校正を喜んで受けてくれる人が居るのも幸いなことです。その協力には感謝しています。私の気づかないミスを指摘されると、正直びっくりしますが、再確認すると私のミスである場合も多いのです。

さて今日の散歩、5月31日に探索を開始したルートで6,100歩。もう一つ気づいたのは坂道を上がった一番高いところだけに小さな林が残っていること。例えば竹藪は生態的に獰猛だと聞きますが住宅地も同じ様に感じます。ついにこの林だけ、てっぺんだけ残して他は住宅地になってしまった小山というか丘なのだと思います(画像)。
もっと早く出かけないとこれから暑い。四時半出発かな。

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