2011年8月6日土曜日

原爆忌



私は広島で生まれ、中学三年の11月まで広島で育ちました。そして東京へ。
父母ともに関東の人で、父の赴任先で生まれ育ったのでした。
小学校時代の友人のお母様は原爆投下の日、電車(広島電鉄が市内あちこちを走っています)の中で被爆(この場合の「ひばく」は被曝の字ではありません)したそうです。

毎年8月6日の朝、父は平和公園の式典に私を連れて行きました。
毎年この日には色々考えます。中学生の時、原爆ドームの保存のための募金活動をしたこともありました。

市内の小高い山、比治山にはアメリカ軍が被害調査をしている施設がありました。A.B.C.C.と言いますが、ある日私は血液検査などを受けました。耳たぶからの採血と行き来の車の記憶だけが残っています。
被爆後少し経って市外から移住してきた夫婦の子という場合の調査だったのでしょう。行き来の車はキャでラックでした。山道はまだ未舗装の部分があり、車高の低い車で車の底と地面が接触するのをかすかに覚えています。

さて今朝は4日に行ったルートを反対側からまわりました。大日堂バス停の所に稲荷神社がありました(一番上の画像)。
大型車も行き交う怖い道をはずれると蝉時雨。帰宅すると元気の無い蝉が居りました。撮影は昨日ですが今朝まだ生きておりました(中の画像)。
昨日の朝、雨で散歩は止め、と思ったら晴れたので近場を周りました。しかし強烈な朝日(一番下の画像)、無理せず昨日4,800歩、本日は7,800歩。

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